楽しさいっぱいのバリ島 情報
とくに患者側の主張が強くなって、「失敗したら訴えてやる」という患者と医者の関係では医療自体が成り立たないし、リスクの高い手術は誰もやらなくなってしまう。
医療訴訟が増えてくれば、アメリカの医者と同じように危険な手術や治療をやめ、重症患者や難しい患者を診ないようになる。
そうやって医者たちは防御的に行動するしかなくなってしまうのだ。
そのアメリカやヨーロッパでさえ、刑事事件として医者が逮捕されることはごくまれなことなのだ。
医療過誤を避ける方法として、H『日常診療の萬お助けQ&A』(Y社)によれば、医療過誤を防ぐには、医者側の情報公開がどうしても必要になる。
それに、余分なことをせず、まず患者側にこちらの現状を理解してもらうという姿勢にならざるをえない。
少なくとも自分たちがまだやったことのない手術方法や、新しい治療薬を使うのはためらわれるだろう。
となれば、治療は患者を助けるのではなく、できるだけトラブルの少ない治療方法を選択するのが理の当然というものだろう。
医学の「進歩」では断じてない。
医学の「維持」にすぎない。
医学の「進歩」は勇気ある医者と患者の協力によって革新的に進んできたが、その構図がいま崩れ去り、医学の「維持」が患者要求を満たす方法になろうとしているのだ。
婦人科、小児科の志望が減ったのは、仕事が過酷というだけではなく、やはり医療訴訟が起こりやすい診療科目だからである。
実際に医療訴訟が起きている診療科目をみると、平成6〜昭年までの8年間に提訴された医療訴訟の件数は5078件で、その内訳は、内科が1271件(妬%)、外科が11292件(6%)となっている(最高裁判所事務総局民事局資料、最高裁ホームページ)。
医療訴訟の件数だけ比べれば、内科や外科のほうが多い。
けれども、内科に比べ産婦人科の絶対数は少ないことを考えるならば、産婦人科のほうがリスクの高い診療科目といえるだろう。
これだけリスクが大きくとも、病院の勤務医であれば給料に差はほとんどない。
これでは、医者が現場から逃げ出すのも当然ではないだろうか。
若い医者たちがリスクの高い診療科目を選択しないというのは、当たり前の生き方ではないだろうか。
そのために、ほとんどの医者は医賠責保険に加入している。
いまほとんどの医師会で、医学研究を続けるためには能力と金が必要だ。
研究費は大学からも多少は補填されるが、その額は1人当たりに換算すれば、たかだか数十万円にすぎない。
こんな微々たる研究費では、最新の高価な研究機材など購入できるはずがない。
最大の研究費は科学研究費補助金である。
科学研究費補助金とは、人文・社会科学から自然科学までのあらゆる研究を発展させることを目的とする補助金のことだ。
文部科学省および日本学術振興会を通じて交付され、その分配は競争的なシステムによって決められ多くの医者が訴訟問題を抱えているという。
訴訟社会のアメリカでは、医者の医賠責保険の掛け金があまりに高くなり、加入できない医者まで出ているという。
日本も近い将来、アメリカと同じ状況に陥るかもしれない。
もちろん医賠責保険があれば安心という問題でもない。
医療事故が起き、医療訴訟などになれば、その後の医者としての生活にも大きく影響が出てしまう。
これも現在の医療崩壊の大きな原因のひとつである。
その分配方法をめぐっては以前から問題が指摘されてきた。
なぜなら、過去の実績にもとづき、国立系の大学中心に科学研究費補助金がばらまかれるので、私立医大にはなかなかまわってこないからだ。
科学研究費補助金を得るには、面倒な書類をいくつも書き、さらに過去の実績を要求される。
だから、まったく新しい発想の研究に資金が呈されることはまずない。
あるいはそうやって研究費をもらえたとしても、人件費にはなかなか使えず、器械購入中心になってしまう場合が多い。
研究は途中で方向転換することもあるし、まったく別な発見があり、そっちへ突き進むほうがいい研究になることもある。
過去の大発見はそうやってもたらされたケースが多い。
今は非常にやりにくくなった。
「決められた器械を使用して、予定通りの結果を出していくのが、いい研究」と考えられているからだ。
まるで公共工事のように、予算をもらって、それを年度末までに使い切ることに意味があるようになってしまった。
それに、研究成果の評価法も暖昧だ。
内容を問われることが少ないうえに、たとえ精査されることがあっても、その評価は学内での評価にもとづいている。
他の評価基準は、「いかに海外の雑誌に投稿できたか」くらいしかない。
しかも、多くの研究はそこまでいかず、海外の研究雑誌にすら投稿されず、国内の学会誌に投稿する研究論文で終わってしまう場合が多い。
科学研究費補助金は税金からまかなわれているのだから、研究の数や論文の数ではなく、その研究内容を公開し、しっかりチェックすべきであろう。
だが現状では、できる第三者の評価機関は存在しない。
日本の医学が世界的に貢献しているケースが少ない理由のひとつは、日本の医者の能力が低いのではなく、新しい研究に対してそれを学会が受け入れようとしない、あるいは評価できないことが問題なのだ。
新しい研究に取り組む場合、主任教授が最初の障害となる場合が多い。
教授が新しい発想を認めなければ、研究を続けることができないからだ。
自分の発想を思い切り活かせる研究がしたいのなら、海外の研究所へ行くしかない。
大学病院の教授は私立医大では闘歳、国公立の医大では帥歳が定年である。
従来は、定年後に大病院の院長になることが多かった。
最近はなかなかポストが空かないので、それも難しくなってきた。
他の就職先としては、研究施設の施設長などになる場合もある。
そのためには自分が現役のときに根回しをして、自分で行き先を考えておかねばならない。
自分が関係する学会で力があるなら、名誉会長などになって、引退後も学会で影響力を及ぼすということもあるが、全体としてみれば少ない。
医学部教授も定年後の生活は大変である。
少し前であれば、教授の就職先を考えるのも医局長の仕事だといわれた時代もあったが、現在では教授がそれを自らやるしかない。
とくに私立医大で、特別な業績もなく(そのケースが多いが)定年を迎えた場合は、まったく行き先がなく、場合によっては自分の教え子が経営する病院に雇われることもある。
なんのコネクションもなければ、開業医になることも少なくない。
帥歳をすぎての新規開業はなかなか大変であるし、医療経営などまったく素人であるから、医局にいたときのように自分の権力や立場を使っていくこともできない。
医学部教授も定年になってしまえば、ただの人になることが圧倒的に多いのだ。
帥歳を過ぎてなお健康な人がたくさんいることを考えると、教授という一時的な権力と地位を得ることはいいだろうが、長い人生を充実させるには不利な職業かもしれない。
医者も長期的な展望で、どう生きるのかを考える時代だろう。
外国の教授のように、優秀な教授は現役の途中で、製薬会社の役員になり、定年を待たずして次のステップに向かう時代になってきた。
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